昭和40年05月19日 朝の御理解
今度ここでのお土地の購入が、約束が出来て、もう愈々土盛にかかってもよいという時に、正義さんがそのお願いに見えた。丁度そん時、伊万里の竹内先生が見えておった。久保山先生と竹内先生と、三人でそのことのお取次ぎをさせて頂いた後にお話し合いをしたことでございます。その時に私が神様から頂きました事は、昭和の『昭』と言う字を頂いた。竹内先生がそりゃどういう意味でしょうか。
久保山先生もそりゃどういう事ですかと。さぁどういう事でしょうか…。と、私はもう言うておりました。ね、お互いが一つの弾んだもの。ね、丁度お土盛はもう、大体言うたら先月いっぱいで、片付くようなまぁ段取り大体はなっとったんでしょう。そういうまぁ一つの意気込んだものが、ある一つの意気込んだものがあるという事はおかげである。けども私はそれは、皆にそのことはふせておった。言わなかった。
さぁどういう意味でしょう。それで私が竹内先生と久保山先生には申しました。あれは日と言う字を書いて、召すと言う字が書いちゃろうが。ね、そういう意味じゃ。どういう事でしょうかち言うてから言うておられたんです。昨夜そのことを月次祭の後に、皆さんのこ、残っておった人達にまぁお話をしたことでございますけれども、その意味は分かっておるけれども、その昭和の昭という字の、意味が私は分からなかった。
あんどういうような、とにかくまぁ明るいといったような意味ではあろうと思ったけれど、一偏字引を引いてみろう、引いてみろうと思いながら、その意味、意味合いを分かっておるもんですからね。それをどういうようなことかと言うと、日を召すということなんです。ね、この度のこと、ご建築のことでも、いわゆるその、お土盛のことでも、日数をくうということなん。人間の計画通りにはいかんという事。
私共は10日であげたいと思うけども、10日は20日も1ヶ月もかかるという事なの。日を、日を召すということ。日をくうと、日数をくうという事。やはり頂いた通りに、とにかく、日数をくうております。まだ本当に、県の方からの、通知もなんも受けてない。というような状態。さぁ始めたかと思うと雨が降る。ね、良いお天気になったからって言うけども、まだ雨の後で土が柔くてから寄り付けない。いよいよ、お土が取れるようになった、また雨が降る。
というようなことで、えー、半ばにして言わばぐずぐずしておるのである。言わば日数をくうておるおるわけなのである。そこで私はその事を申しましたらどういう事でしょうか、字引で一偏調べてみてごらん。私大体、昭と言う字は、どういうな、大体見当はね、まぁ明るく、そういうような意味じゃろうと私がこう思うた。日数をくうのは何故なのかという事を分かるためには、その昭と言う字の意味が分からなければ分からんのでしょうが。日数をくうということだけは分かった。
日にちをくうということだけは分かった。ね、10日のものは20日、20のものは1ヶ月もかかるという事だけは分かった。けれども何故かかるかという事は、その昭と言う字の意味が分からなければ分からん。昨日、寝とる子供を起こしてから文男さんがその、参考書、あ、字引を引っ張ってきて、したら字引を引いておりました。昭和のあの昭と言う字はね、光に輝くという意味が書いてある。光に輝くという事。ね、
光に輝くような、言わばおかげであり、成就でなからなければならんから、日数をくうておるのだという事なのです。昨夜は久しぶりで皆さん、気合がいっただろいうと思いましたですね。あれは大坪総一郎の、おー、お話じゃなかったと思うですね。私も終わってからそりゃ自分で感じました。まぁ言うならです、ね、この方金光大神がと仰るが、ね、この方大坪総一郎が受けておるようなおかげをです。
真似方でも皆に分からせたいという、止むに止まれん神様のあれはお言葉であったと私は思うです。私がはがいがってから、というようなものではないという事。ん。光に輝くような成就であるということをです、お互いの心の中にです、光に輝くようなものが頂けると言うことだと私は思う。何の為に神様の事ですもの天地が自由になると仰せられる神様の事ですもの。
一時が万事、神様だけでお進めに成られるって言うことならばです、ね、それこそ10日でと思いよったのが5日であがりましたというようなおかげも、下されれんはずはないと私は思うた。ね。神様のことだけが成就したのではいかんでしょう。神様の事が成就する時には、氏子と、氏子のことも成就しておらなければならないということ。神様はおかげでて、氏子のおかげで、あいよかけよで喜びあい、ん、御礼の言い合いというようなおかげになってこなければならない。
これは皆さんでも、そういう、うー、体験をお持ちだろうと思いますがね。一つのことを願い、願う。願うても願うてもおかげにならん。何故なのか。ね、おかげを頂いた時に分かる、はぁこう、あぁいう御都合もあった。こういう御都合じゃったから、こんなに長引いたんだなぁと。おかげを頂いてみて分かる。そういう場合もある。もうこれはもう、おかげの頂けんはずだもん。ね、神様はここを改まれって、そこん所が間違うとるじゃないかと。この際ここの所で、ここで力を頂かなきゃ何時頂くかと。ね、
言うなら、光に輝く所の土台というものを、ね、握らせたいばっかり与えたいばかり。そこにわざわざ、日にちをかけておられるというのですからです、それがのんべんだらりと日にちが掛った、だぁけでは何時まで経っても日にちはかかる掛るばかり。ここに互いに、思いをしてですたい。ね、どういうような事でこういう、その、神様が喜んで下さるような事柄が、と思われるような事柄がです、長引いておるのかと。グズグズしておるのかと。こりゃぁ一つ私共が、こりゃ本気で分からせて頂かなければならんということを、なのです。
皆さんどうでもその、自分の心の中にです、ね、生き生きとした、瑞々しい光に輝く真に有難いというようなです、日々の生活が出来るようなおかげを頂かねば信心の値打ちはないと。ね。光に輝くような、事に成就して行くと。ためにはお互いの、一人一人の心の中にです、光に輝くような信心がこの際、頂かなければならない、また神様が頂いてくれよと。という御神意をお互いが分からせてもらわなければいけない。ね。
(途中切れ)